表現の不自由展停止の報道を受けて思った事

とりあえず、色々調べる前に「報道された内容を聞いた私」の思った感想を書きたいと思います。
愛知県でやってた展示会で表現の不自由をテーマに取り扱ってた展示会が一部の人たちに不評で、爆破予告が起き、展示会が三日で中止になった。
犯人は展示物の中の一つ「慰安婦像」の展示が許せなかった。
主催者側の小太りの金髪が(すいません、流石に人名は調べないとわからないッス)中止を発表して・・・
国が中止は正しい判断だーといったら、活動家の人たちが法律違反ダーと騒ぎ出して・・・
細かい話はちょっと割愛。ダメだ、外気温暑過ぎて脳が溶けてる。まとまんねぇ

じゃ、色々調べてない私が感じたこと。
・・・そりゃ、中止して当たり前だろう。
表現の不自由として話題として控え気味な物って、歴史的に良くない事象を臭い物に蓋をする意味合いで表舞台に出せない、とかそういう単純な話じゃないぞと。
殊、今回の焦点になってる慰安婦問題って、「日本と韓国がお互いの未来の子供達の為に不可逆的にこれ以上話題に持ち出さないと決めた事」であり
大人達は忘れる事で子供達を守る、日本側は賠償金を支払い韓国側はそれを受け取り、暗い歴史にお互いの国が了承の上、この問題に終止符を締結した話題。
・・・ところがきっちょん。
韓国側はこの約束を即時反故にし、ずっと慰安婦の話題を語り続ける。
国の間での決め事を反故にする以上、この議題を一度白紙に戻し改めてお互いの国民感情を話し合う・・・のは普通の人間の考え。
韓国は受け取ったお金は返金しない、しかし慰安婦問題を国の間の摩擦問題として残し続けるという。。。
こうなると、日本側の見解としては「韓国はこのネタをずーっと持ち続けることによって日本からお金をゆすり続けるつもり、相手にするだけアホだ」
自分たちの未来の事より目先のお金のことしか考えてない浅学の民族という位置づけを韓国は手に入れることになる。
この話題を問題として考え直すなら、賠償金として受け取った日本国民の財産をまず返し、白紙にしてからはじめようか、と。

さて、ようやく話題は現在問題となっている表現の自由展に話を戻そう。
日本の立場としては、きちんとした手続きのもと、韓国との間に慰安婦の問題は存在しない。これは不可逆的なものである。
十分な話し合いの元、賠償として日本は多額のお金を支払い韓国はそれに合意し、それを受け取った。
韓国は不可逆的であるこの話題を国民が国意に反する行動をとる場合、それを治める責任がある。
それを日本側が話題にしようと言うのだ、そりゃイベントを公が止めるのは道理である。
議題を白紙に戻すプロセスが開始されていない以上、この話題は不可逆のステータスのままである。
やり方はまずかったかもしれないが、爆破予告?をした人の心情は日本の立場としては正しい。

ところが、表現の不自由展側の意見としては、そういった問題だって表現の自由だ!そういうのをネタにする事は悪くない!と語る。
だがね、前記した通り「慰安婦問題は存在しない事で次代の韓国の若者や延いては未来の日本の若者達を守る振り返るべきではない話題」なのである。現状。
それを公の展示会なんかで取り扱ってしてしまうのは、誰がどう見ても『悪業なのである』
正義の行いってなんなんですかね、、と思わされる話題でしたよ、ほんと。