[雑記]相対的幸福認識と絶対的幸福認識から見る雑談

今日、支払いだけの為に病院へ行く都合があった。
週末で午前中のみの診療を行っている日程だったため病院内には中も外も人があふれていた
とはいえ、受付のピーク時を避けて訪問していた為、受付に人はいないレベルの込み具合だった。
残念なことに今回のタイミングでは、受付レジ前にお爺さんが一人並んでいたのだが、様子を見ていると会計や受付処理をしているわけでも無いように見える。
かといって、その人を押しのけて会計手続きに進むこともできずにいたのだが、
受付の人がようやくその人に声をかけた所、お爺さんはこう話しだす。
「私の診療はいつ始まるんだ!!」
あー、、、典型的な自己中クレーマーだったわ...
受付の人も、処理番号など事務的に確認して15分~30分かかります、と返答
「30分だって!!困るよ!!急いでいるんだ!!」
んー...すげぇな、これだけごった返した病院の診療待ちの人がいるのに、自分を最優先にしろって胆力
流石だね、世の中さぞ生きずらい人生送ってそうだね。
んで、ごねまくってて受付が開かない。
そしたら、通過した看護師さんが、「あ、私さん?今日はどうされました?」と声をかけてくれた。
『会計支払いで来たのですが...』と、傲慢爺をちらり。
「あ、はーい」と、受付へ診察券をもっていってくれた。「私さん、支払いにいらっしゃいました。」
と、手続きが進む脇で、勤務歴の長い看護師さんが奥からいらして、傲慢爺の対応
「他にもお待ちいただいている人が沢山いて、30分はかかってしまうのですが...15分とかでも無理ですか?」
「この後予定があるんだ!30分は無理だ!15分??ごにょごぐむごにょ...」
言いたいことは分かるぜ?手を叩いたら即座に自分を診察しろって言いたいんだろ?
というか、他の人なんて知らない、待ち時間は苦痛だ、故にそんなものを自分に符合するな、というゴミ思考。
これが、相対的幸福認識です。
これだけ沢山の人が病院の待ち時間に苦痛を感じている中、自分だけが待ち時間も無くあっという間に対応してもらったら、それは気分がいいでしょう。
こういう人の典型として、「言ったもん勝ち」を過去に成功させていて、これが成功体験となり、違う場面でも自分がごねることで優遇を得られると誤認してしまうのです。
ゴネ徳の悪性変異です。
30分も待てないような人がなぜ病院に来たのでしょう...
その人にとって、10年20年と続いていく人生は、さぞ耐え難い人生に他なりません。
そんな苦しみを負うならば、いっそ病院には来ないで病状を悪化させ、一人寂しく人に迷惑をかけることなく〇った方が
幸せのように見えます。
これが、絶対的幸福認識です。
人生のネタバレ 「死ぬ」っぽいな、です。
意味深でカッコいいでしょ?:)

さて、かくいう私ですが受付に届けられた私の診察券は、ゴネ徳老害を横目に直ちに処理がスタートされ、
私も入り口前の座席に腰かけて待つこと2分程
「私さーん、会計の準備が整いました。」
老害がどんな顔してるか気になって一瞥して見たかったけど、まぁそれも不毛なので安どの表情で受付に高額支払いです。
さて、ここで感じた幸福感が「相対的幸福認識」です。
絶対的と相対的、違いは判りましたか?
人と比べると相対的で、自分一人で完結すると絶対的です。